高校一年生の頃、的前に入る前は壁に立てかけた畳がぐすぐすになるまで畳に向かって弓を引いていた。空筈(からはず)に悩まされたのはその頃である。
カランッ
いざ弓を引こうとして離れを出しても、矢がこうして音をたてて落ちてしまう。うまいこと取懸けができたように思っても、引分けをすればすぐさま矢を落としてしまう。前日までは全くそんな気配がなく引けていたのがさらに怖い。
初めて空筈が起きたときには、今までにない異常事態だと思ってひどく焦った。一度感じ始めた違和感は根本となる問題を解決しないことには直らない。なかなか解決策が見つからず悶々としていた私は師匠に助言を仰ぐことにした。
「師匠、弓を引いている最中に矢が落ちてしまうのですが…」
「それは空筈かな。一度見せてみなさい」
そう言われて一本引いた。
カランッ
やっぱりだ、どこかしらで矢が落ちてしまう。
的に辿り着かなかった矢を見てがっくりとうなだれた。半泣きの私に師匠はこう言った。
「ふむ、そうだね。取懸けを見直してごらん」
理由は分かったと言わんばかりの顔だ。
「取りかけですか?」
たった一点をつかれた私は思わず聞き返す。
「そう、取りかけ」
「わかりました、やってみます!」
師匠に取懸けを直すように言われた私はまず基本を振り返った。
初めて取懸けを習ったときはたしか次のように言われたはずだ。
- 小指、薬指をにぎって弽(かけ)の弦枕に弦を引っ掛ける
- 矢一本分だけ間を空ける
- 人差し指、中指を帽子に被せる
- 矢をおさえるように馬手全体をひねる
基本に忠実に何回かやっていくと、いつしか空筈は起きなくなった。やはり師匠の言うことに間違いはないのだと恐れ入った。
空筈の原因はおそらく矢と帽子の間が広すぎることだった。基本の2つ目がおろそかになっていたことに気づいた私は恥ずかしく思った。
ただ、今回の件で良かったのは空筈が直ったことだけではない。
空筈を直そうと先輩や同期と取りかけについて議論したことで、曖昧だった部分が解消されてお互いに理解が深まった。馬手を捻る方向、親指が引っ張られる感覚、弽(かけ)の腰をつける、握らない、力を入れるなら小指と薬指、などなど。空筈が起きるという気になる部分を直す過程でただ弓を引く以上に理解が深まった。
答えを知っている人にただ尋ねるのではなく、自分で考えて答えを作り上げること。試行錯誤して、そして最後は答えに辿り着く自力を強くすること。その大切さに気づいた。
そうすれば、次に同じ間違いをしたときに自分で修正することができる。取りかけを見直すように助言をくださった師匠の思惑に舌を巻いた。